精神的に自立した人になるために

精神的に自立した人になることが当面の目標だと考えている。仕事上では先輩がいなければ殆ど何もできない状況だし、私生活ではセミナーに通ったり本を読んだりしてるが自分の考えを持てていない。今現在の私は、つねに誰かに依存しているような状況だ。

 

精神的に自立できていない理由の一つとして、承認欲求を求めていることが考えられる。例えば、セミナーに誘われたときに、行くか行かないかを自分自身の意志で決めるのではなく、断ったら相手に嫌われるのが恐くて行くと返事をしてしまう。まさに今日の私はこのような思考回路でセミナーの参加を決めてしまった。

 

承認欲求を求めて他者に依存している状態は、他者の立場からすれば迷惑なのではないだろうか。自分の意志がなく全て先輩の指示に従っている社員。客観的に考えれば、組織にとっては生産性を下げる要因になっている。現実は思っている以上に厳しいのではないか。

 

精神的に自立することと、誰にも頼らずに一人で解決しようとすることは違う。私はよくこれを混同して仕事を一人でやっていることがあるので注意が必要だ。精神的に自立できていれば、人と協同して働くことができるし、それぞれが自立していれば生産性も上がると思う。

 

ここからが本題ですが、自立した人になるためには何が必要でしょうか。それを考えていくにあたり、私が何度も読み返す本『嫌われる勇気』を参考にしていく。

 

アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定している。人間は他者の期待を満たすために生きているのではなく、他者もまた私の期待を満たすために生きているのではない。自らの生について、自分にできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」それだけだ。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのかは他者の課題であり、自分にはどうしようもできない。

 

まずは一週間、他者に依存せず自立した考えを持ち続けて社会生活を送っていく。いきなりはできるとは思わないし、きっとふとした瞬間に心が折れて他者に依存してしまうこともあると思う。それでも少しずつ自立した考えで行動している時間を増やしていって、最終的には必ず精神的に自立した人になる。

思いがけないチャンス到来

いつも通り予約したセミナーに参加して、いつも通り良い話を聞いて学んだ気になって、いつも通り翌週を迎える。そんないつも通りの特に考えもしない週末になるのだろうと思っていた。でも、今日はセミナーに参加する気にならなかった。自分が人生で何を大切にしたいのか、どういう方向に向かいたいのかを明確化できていないままセミナーに参加しても意味がないと思ったからだ。どうしても今日は行く気がしなかった。

 

「少し自分の目標や考えを整理する時間を作りたいです。」とセミナーの紹介者にLINEした。しかし、すぐに電話が来て「一人で考えても仕方がないから、取り敢えず来な!」そう言われて、少し迷った末に参加することにした。

 

セミナーの主催者の方は今日はピリピリしているようで、思っていることを率直に話しているようだった。「自分探しの旅でインドに行くなんて意味がない。資本主義の本質や構造を知らないままサラリーマンを続けることは奴隷だ。どんな生き方をするにも金は必要だ。」今日は本質を話過ぎたとその方はセミナー後に話をしていた。

 

セミナー後、参加者で一緒にご飯を食べる時間があって、電話を下さった紹介者の方がセミナーの主催者の方に一番近い席で相談の機会を設けてくれた。ご飯の時間に残ったのは総勢15~20人くらいいたのに、約45分間が自分のお悩み相談みたいな時間になってしまった。

 

「今日はいつもより元気ないな。何か悩んでる?」と主催者の方から声をかけて下さって、自分の人生の目標が明確化していないこと、今日はセミナーに参加しないつもりだったことを正直に話した。その方は笑って一言「自分探しの沼にはまっているのか。」と言った。私は何も否定できずそうだと頷いた。

 

主催者の方は冷たいようで、優しく接してくださった。「自分探しをしたいならすればいい。でも、20代の残り5年間を自分探しで費やした人を知っているけど、その人は何も変わっていない。一方で、20代の残り5年間を稼ぐ力を付けるために努力すれば、たとえ5年後に稼げていなくても、その経験は絶対に無駄にはならない。自分探しに5年費やして何も変わらないよりはよっぽど価値があると思わないか?」そう言われて、私はもやもやしていた考えがクリアになった感覚があった。

 

しかし、私がその主催者の方に学ばせていただく条件が課された。それは、私と同じように人生に悩んでいる人を来月までに連れてくることだった。なぜなら、主催者の方に教わる人と、自分探しで悩み続ける人とでどのような差が生まれるのかを実証したいとのことだった。まあ、何もポテンシャルのない私にとっては、その条件を呑むしか術がないので承諾した。

 

2/8(月)までに私と同じような人生の方向性に迷っている人をセミナーに連れてくれば、私は主催者の方から稼ぐ方法を教えていただける。今日は思いがけないチャンスが到来した日になった。

人生を他人事のように生きている

人生を他人事のように生きている。今日仕事が終わった後にそう感じた。

 

残業で帰らない人、定時で上がる人、私は前者だ。別に帰れないほど仕事が溜まっているわけではないのに、帰らない理由を探して残業をしている。一年目からこうなのだから、きっと10年後もそうなのだろう。情けない気持ちになってもそれに抗うエネルギーがない。会社でこの先もいいように使われて人生を終えていくのだろう。先輩の言うことを素直に聞いて会社の歯車になって、退職していくのだろう。それに抗う力がない。

 

人生を他人事のように生きているから、仕事を覚えたいとう熱もない。覚えなければいけないという気持ちで覚えようとしている。仕事が全く楽しいと感じない。いつの間にかストレスをため込んでいる。ストレスのせいか、3日前の処理を忘れてしまっている。本当に俺はこのまま仕事を続けていくのか。仕事を続けるかどうかは自分で選択ができる。いやなら辞めたっていい。職業選択の自由が日本にはある。ただ、辞めるという決断をすることで他人にどう思われるかが怖いから辞めない。一生そうやって考え続けるのだろうか。俺は仕事を辞める価値なんかないから、今の仕事を一生懸命やることが正しいんだって自己暗示し続けるのか。

 

単純にサラリーマンのモチベーションって何なんだろう。養う家族がいない私にとって、何をモチベーションにして毎日同じデスクで死んだような眼をしながら働けばいいんだろう。会社では自己完結できる仕事はない。逐一気づいたことがあれば報告することがミスの防止につながる。そういうものだということは分かった。でも結構しんどい。自分で何もできないじゃん。仕事ってしんどい。使う言葉もネガティブになってきた。環境のせいにしたくなる。俺はこのままの人生を送るのだろうか。

アサーションについて

平木典子さんの『アサーション入門』という本を読んでいる。集団の中で自分を表現することが苦手だからだ。

 

アサーションとは一言でいうと、自分も相手も大切にする自己表現のことである。言葉ではシンプルに言い表せるが、実際の社会の中で実行するのは僕にとって難題である。

 

本書ではアサーションの方法が紹介されている。第一のステップは自分の気持ちを確かめること。瞑想や深呼吸などの方法で自分の気持ちを認識することが大切である。第二ステップは正直に言語化してみること。集団の中でいきなり自分の気持ちを表現することはなかなかできないが、今みたいに一人でいる時は思いっきり気持ちを表現することが大切だと思う。そうやって自分の考えを深めていけば、集団の中にいる時も自分を見失わずにいられるのではないだろうか。

 

私は非主張的な自己表現者である。幼いころから自分を表現することを避けて他者の都合のいいように生きてきた。自分で判断することに慣れておらず、つい相手の言いなりになり、その結果、自信がなく引っ込み思案になっている。もしかしたら、自分の存在が組織にとって損失をもたらしているかもしれない。アサーションができていないことは、実は重大な問題なのだと認識する必要がある。

 

アサーションは社会生活を送るうえでの基礎力だ。成長するために、まずはしっかりと足元を固めることを怠らないようにしよう。

集団の中での思考力について

大阪のとある読書会に参加したことをきっかけに、キャッシュフローゲームというお金の勉強会に週2ペースで通っている。8~9回既に参加しているが、なかなかゲームでうまく行ったためしがない。たまたま運よく上がれたことは何度かあるが、自分の実力とは到底言えない。俺って覚えの悪い人間だなぁ、、最近そればかり考えている。

 

仕事においてもゲームにおいても、物覚えのいい人と悪い人の差とは何だろうか。今日のゲームでは、斜向かいにゲーム10回目の参加者がいた。彼は自分と同じくらいのゲーム経験なのに、自分よりはるかに頭を使って判断をしている。自分は一つ一つの判断を明確な根拠を考える自信がなく感覚で行っているのに、彼はゲームのゴールを意識して戦略を立てて進めているように見える。彼と自分の違いは何なんだろう?俺はゲームの途中から彼に意識を向けていた。

 

彼を観察する中で気づいたことがあった。それは、彼は明らかに自分の頭を使って考えていること。そして、私は自分の頭で考えているようで、実は周囲の人が何を考えているのかを考えていること。そこで以下のような仮説を考えた。

 

「一部の人は集団の中にいる時、一人でいる時よりも思考力が低下するのではないか」

 

この仮説が正しいならば、現在進んでいるテレワークの加速につながるかもしれない。なぜなら、会社に出勤して人と一緒に働くよりも、在宅勤務やテレワークで働いたほうが、思考力が高まり仕事の生産性の向上につながる可能性があるからだ。

 

仕事で最近気づいたことは、仕事に責任を持つことが必要だということ。当たり前かもしれないが、今の自分にはそれができていない。もっと言えば、自分の人生にも責任を持てていない。時々、自分の人生どうでもいいやって投げやりになる。自分の人生を良くするために努力するか、自分にはいい人生を生きる値打ちもないから今の会社にいいように使われる人生にするか。今俺の目の前には二つの選択肢があるように思う。冒頭で話したキャッシュフローゲームはお金のリテラシーを高めていい人生にすることを目的にやっているが、そんなことに現を抜かしてないで今の仕事に全力で集中したほうがいいのではないか。しかし、今の仕事に集中して優秀なサラリーマンになったとしても、5年後10年後の自分って今の5年10年上の先輩だよね。そうなりたいのかどうかだよねってよく言うけど、それを望んでいるわけではないのは事実。ネガティブ思考のスパイラルにはまってきた。

 

集団での個人の思考力の低下について、今後も考えていく。

自我を確立するために

マズローの5段階欲求は「生理的欲求」⇒「安全の欲求」⇒「社会的欲求」⇒「承認欲求」⇒「自己実現の欲求」ですが、現在の自分はどこにいるんだろうと、ふとランニング中に考えました。感覚的にまだ承認欲求が満たされてないような気がします。仕事中の自分を客観的に見てみると、自信がなくて声が小さいし、人にどう思われているのかを気にして行動できていないし、まるで思春期の学生のような社会人です。

 

そこで考えたのが、普段の私生活の習慣を整えることです。人が見ていないところでもいい習慣を継続することで、無意識に習慣的な行動をとるように仕向けることです。今の自分には自我の確立が必要なのではないかと考えています。

 

自我を確立してしまったほうが楽なのかもしれません。余暇と仕事中で自分を分けることや、接する人によって対応が変わるとか、単純に面倒なことだと思います。セルフ・ブランディングに近い考え方かもしれません。

 

一方で、本当の自分や唯一の自分というものは本来存在しないものなのかもしれません。平野啓一郎さんの『私とは何か』という本では、分人という考え方が紹介されています。人間は接する人や環境によって違う自分を出していて、それぞれの自分は異なっていても全て自分なのだといった内容でした。私はその本を読んで、いろいろなコミュニティに参加して自分の好きな分人を増やしていけば、幸せになれるのではないかと考えました。今の自分はあまり好きな分人を持っていないような気がしますが...。

 

考えがまとまりませんが、現在の私の思考力はこの程度です。これから毎日ブログを書いて、自分自身の成長につなげていきます。